鋸山には大小数多くの石切場跡があります。
産業としての採石は、江戸時代の後期から始まって、最盛期には、30軒の石切元締めがあり、年間で56万本の石を産出しました。
この石切場は、昭和60年まで採石を続けていた、最後の石の元締め、
芳家石店の石切場跡です。
ここは、岩の形状と刻みこまれた文字の位置で、石切場の時代の変化がよくわかります。安全第一と彫られた上は、
ノミとかツルハシで切り出した跡がわかります。
その下からは、チェーンソーとなっており、昭和半ばから機械化されています。
今より大分上の方で、上から石を切り出し下へ下へ進んで行くのが
わかります。
「車力道」というのは、鋸山から切り出された「房州石」を麓まで運び出した道です。
石を運ぶ人は「車力」と呼ばれて主に女性の仕事でした。
案内看板の写真です。
一本80キロの房州石を三本、ネコ車と呼ばれる荷車にのせて、石のしいた急な坂道を、ブレーキをかけながら降りました。麓や港で石を下ろした後、また、荷車を担いで急坂を登り石切場まで戻ります。
車力の仕事は1日三往復、ケーブルトロッコが使われるようになってからも、昭和35年くらいまでは車力が運んでいたとのことです。
上の写真は「樋道跡」です。
ノコギリ山の急こう配の山頂付近で切り出した石材は、まず、石を敷き詰めた滑り台みたいな樋道を滑らせて、山腹へ下ろします。樋道には、石の下ろすスピードを調整するため石段が必ず設けられています。樋道の下には竹を敷いて摩擦を軽減し、石材を何個かツルでしばり、何個かまとめて下ろしたとのことです。
車力道はノコギリ山登山のハイキングコースにもなっています。
一昨年は、「車力道」→「日本寺」→「関東ふれあいの道」と回りましたが筋肉痛になりました。